アラフォーバツイチ女の恋活、ときどき猫。

アラフォーのシングルマザーが恋活したり猫を愛でたりするブログです。

幸せならそれでいい

最近よく考える事なのですが、

「普通」と言われる状態にない事を

丸っと受け止めるって難しいなと。

 

 

例えば

・息子が学校に行っていないこと

・私が普通サイズの入らない肥満なこと

・Eさんとの関係が曖昧なこと

 

 

「普通」の枠から外れることの

後ろめたさを捨てきれない。

それで誰かに迷惑を掛けている訳でも

ないのに(不登校は学校や福祉の方に

お手間をかけているかもしれないけど

咎められるような迷惑ではないはず)

そうある事に対して言い訳したくなる。

 

 

幸せならそれでいいじゃん、ねぇ。

 

 

確かにそう思っているはずなのに

胸を張ったら石を投げられるような

恐怖が襲うのは、社会が「普通じゃない」

ことを許さないからなんだろうか。

『社会』っていうと主語がデカすぎだし

寛容な人も沢山いると思うのだけど

 

 

不登校=問題

肥満=堕落

曖昧な関係=不潔

 

 

そう評価する人が一定数いるのも

明らかで、彼らの声はとても大きい。

平気で見下したり笑ったりしてくる。

自分はマジョリティで間違ってない!

という自信があるからなんだろうな。

 

 

ただその一方で

「自分は“普通”の枠の中で頑張ってる

のにズルい!」という本音が漏れ聞こえる

気もする。

 

 

「私は行きたくない学校や会社に

通ってるのに、家で楽しやがって」

「私はカロリーのあるものを控えて運動も

頑張ってるのに好き勝手に食いやがって」

「私は一人寂しく過ごしてるのに or

私は結婚してシンドイ日々を送ってるのに

責任もない相手とヤリやがって」

 

 

ついでに私の親のように

「普通でないと人生辛いわよ!!」

と本気で思っている人もいる。

 

 

笑いものにしたり見下したり

妬んだり過剰に心配したり…

 

 

とにかく全っ然

ほっといてもらえない。

 

 

それを幼少の頃からずっと体感して

きたから、自分や息子やEさんが

「これでいい」と思っていても

後ろめたさを捨てきれないのだと思う。

ごちゃごちゃ言う人なんて、それこそ

無責任に言い逃げするだけなのにね。

 

 

 まぁでも。

そうやって否定してくる誰かを

変える事なんてできないし、

私だって無意識に誰かを否定して

いるんだろうし、そもそも私が

他人の発する言葉に反応しないで

いられるくらい自信があれば

問題ないわけで。

 

 

揺るぎない自信と鋼の精神

今からでも持てるかな…?

もう40年、よっぽこなんだけど。

 

 

私はもう変われなくても、

きっと私と同じように「普通」に

収まらずに生きていくであろう

息子には胸を張って生きてほしいな。

 

 

元カレEさんとのアレコレ  
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